大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和50年(ネ)2738号 判決 1977年10月27日

控訴人

熊谷惣治

控訴人

熊谷初子

右両名訴訟代理人

井上恵文

外四名

被控訴人

右代表者法務大臣

瀬戸山三男

右指定代理人

宮北登

外四名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

治が昭和四六年一月八日陸上自衛隊に入隊し、直ちに本中隊第一一営内班に配属され、同僚達とともに、横須賀市御幸浜の営舎で起居しながら、同年三月二二日まで新隊員課程の前期教育を受け、その教育が終了した同日午後九時三〇分ころ、本件居室において、同僚の杉浦と喧嘩口論の末、同人にその所携のナイフで腹部を刺され、腸管、腸間膜損傷等の傷害を負い、同月二八日午後五時二〇分ころ入院先の同市加藤医院で死亡するに至つたことは、当事者間に争いがない。

(一)  そして、本件事故発生の経緯及びその態様についての当裁判所の認定も、左のとおり附加、訂正するほか、原判決のそれと同一であるから、原判決理由二(原判決一四丁表一〇行目から一八丁裏八行目まで)をここに引用する。

(1)、(2) <省略>

(二)  そこで、被控訴人の不法行為責任について判断する。

おもうに、自衛官の営内服務は、営舎という特定の施設内において、統一的集団生活を通じ、自衛官をしてその使命を自覚させるとともに、部隊活動の基礎を確立させることを目的として行なわれるものであり、しかも、一等陸・海曹以下の階級にある自衛官は、原則として、駐とん地内の営舎に居住することを義務づけられていること(自衛隊法五二条、五五条、同法施行規則五一条、自衛官の居住場所に関する訓令一条、陸上自衛隊服務規則三条参照)に鑑みれば、営内服務の指導・監督に当たる上官は、常に部下の融和を図り、保健・衛生に留意するのはもとより(陸上自衛隊服務細則一四条参照)、生命、身体の安全を保護すべき義務を負うものといわなければならない。

しかし、およそ自衛官たる者は、国家防衛の重大な任務を負託されているのであるから、その営内生活にあつても、自己の良識と良心に基づき自ら律することを本旨とし、いやしくも放縦に流れたり節度を失して他に迷惑を及ぼすがごとき言動は厳に慎むべきであり、反面、営内生活の指導・監督に当る上官としては、部下の個人の生活を尊重し、その自律心を助長するよう努めるべきであつて、みだりにその生活に干渉するがごときは、許されないこと明らかである(服務規則五条、三六条、三七条参照)。それ故、事故の発生が客観的に予測されるような特段の事情がある場合は格別、然らざる限り、営内生活の指導に当たる上官には控訴人ら主張のごとき部下の行動を逐一監視すべき義務はないものというべきであり、このことは、当該部下が未成年者であるとか、新隊員課程の教育を受けている者であるからといつて別異に解すべき合理的理由はないものというべきである

ところで、本件事故発生当時、小林外次が本中隊の第一一営内班の班付、高山和人が第一二営内班の班付であり、いずれも、本件居室内にいたが、本件事故を阻止しなかつたことは当事者間に争いがない。

(1)  控訴人らは、まず、右両名が治と杉浦との喧嘩の段階から本件事故を現認していたと主張する。

しかし、本件訴訟に現われた全資料をもつてしても、控訴人らの右主張事実を肯認せしめるに足る的確な証拠はない。<中略>

(2)  そこで、前叙のごとく小林外次と高山和人の両名が本件事故の発生に気づかなかつたことが同人らの過失であるかどうかを審究するのに、

(ア)  控訴人ら主張のように、本件事故発生当時、小林外次は、自己のベツドで週刊誌を読みふけつており、高山和人も、自己のベツドで隊員から頼まれた寄せ書きを書いていたと仮定しても、同人らに営内生活における部下の行動を逐一監視すべき義務のないことは、前段説示のとおりであり、また、<証拠>によれば、自衛隊の服務規律の上でも、班長又は班付が日夕点呼後から消燈時までの間起きていなければならないことになつているわけでもないことが認められるので、右の両名が自己のベツドで休んでいたという事実をとらえて両名の過失を論難することは、当らないといわなければならない。

(イ)  さらに、本件事故の起きたときは、消燈前の自由時間であつたところから、本件居室では各所で隊員達の話し声がとびかい、それに加わえて、隣室においても他班の隊員達が隊歌を歌うなどしており、これらの声が入り乱れて、本件居室内は全体としてかなり騒々しい状態にあつたうえ、治と杉浦の口論が比較的低い声で行なわれていたので、それに気づいていた者は、同室に居合わせた者のうちでも数名の同僚に過ぎず、至近距離にいながら全然気づかなかつた者さえいたような有様であり、しかも、杉浦がナイフを手にしてから治を刺すまでの間は、ほんの瞬間のことで、それを制止する余裕などなかつた(これらの点に関する細部の事実についての当裁判所の認定も、原審のそれと同一であるので、原判決二四丁表末行目から三〇丁裏六行目までをここに引用する)。したがつて、右口論の行なわれた場所から少し離れた位置にいた小林外次や高山和人らがそれに気づかなかつたこともまた、やむを得なかつたところであるというほかはない。

(ウ)  もつとも、本件事故発生の当日は、約三か月間にわたる新隊員課程の前期教育が終了した日であり、翌日には隊員が全国各地の部隊に赴任してゆくことになつていたことは、前段引用に係る原審認定のとおりであるから、隊員各自がやや異常な精神状態にあつたことは推認するに難くなく、また、<証拠>によれば、これまで隊員教育終了の日に隊内でいさかいや暴力行使はともかくとしても、刃傷沙汰の事故が発生したことは一度もなかつたこと、また、杉浦は、再入隊者で要領がよく、狭る賢いところがあつたため一般から嫌われており、真面目な人物の治とは性格的に合わないところがあつたが、取り立てていうほど不仲であつたというわけではなく、また、隊員間に平素からグループの対立や反目等はみられなかつたことが認められ、右認定に牴触する<証拠>は、たやすく措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。したがつて、当日本件事故の発生を客観的に予測すべき特段の事情があつたものとはいえない。

以上要するに、小林外次及び高山和人の両名が本件事故の発生を知らなかつたことにも、同人らの過失はなかつたと解するのが相当である。

(3)  むしろ、本件事故は、前段引用に係る原審認定事実によつて窺えるごとく、杉浦が自己のベツドで山川とレスリングの真似をしてふざけ合つていた際、山川の足が隣のベツドに当つたことから、同ベツドの上段で寝ていた生方と杉浦の喧嘩が始まり、それがさらに杉浦と治との喧嘩に発展し、杉浦が治から胸部を蹴られたとき、そのはずみでズボンのポケツトからナイフが同人の眼の前に転がり落ちたという幾つかの偶然の事実が重なり合い、これが要因となつて発生した突発的事故であるというべきである。

この点につき、控訴人らは、若しナイフが杉浦の眼前に転がり落ちることがなかつたとすれば、治の死亡という最悪の事態が起こらなかつたことは明らかであるところから、自衛隊当局に右ナイフの取扱いに関する過失があつたと非難する。

しかし、<証拠>によれば、本件で凶器となつたナイフは、杉浦の私物であるが、全長一九センチ・メートル、刃渡り九センチ・メートルの果物ナイフであつて、銃砲刀剣類所持等取締法三条によつて所持の禁止されている刀剣類でないのはもとより、武山駐とん地服務規則一七条により隊内持込みの禁止されている刀剣類でもなく、この程度の物は、当時隊内で所持していた者が少なくなく、売店ででも容易に入手することができたこと、しかし、本中隊では、教育隊という部隊の特殊性から、中隊長の方針に従い、入隊の際、東谷班長が杉浦から任意提出を受け、何時でも返還に応じられるよう、営外居住者でない柏原班付に命じて隊内で保管させていた。ところが、本件事故発生当日の卒業式の終了した午前一一時ころ杉浦からその返還を求められたので、翌日は全国各地の赴任先の部隊から迎えの者が来て、各隊員はそれらの人々の指揮下に入らなければならず、赴任先によつては早朝五時ころに出発することとなり、然らざる隊員にあつても、家族との面会等があつて、その日は、到底、荷物の整理、梱包をする暇等ないところから、柏原班付において右ナイフを杉浦に返還したことが認められ、この認定に牴触する証拠はない。

それ故、右ナイフの取扱いに関して自衛隊当局の過失をあげつらう控訴人らの右主張も当らないこと明らかである。

なお、隊員の営内生活は、指揮系統に従い、上官の指導・監督のもとに行なわれるものである(陸上自衛隊服務規則四条、五条参照)から、特段の事情の認められない本件においては、前叙のごとく、治ら隊員の営内生活の直接指導に当つていた前記小林外次及び高山和人の両名に過失が認められない以上、その区隊長であつた秋丸恵及び中隊長であつた吉田良雄にも過失の認められないことはいうまでもない。

(三)  最後に被控訴人の債務不履行責任について判断する。

債務不履行と不法行為との請求権の競合が認められるとしても、本件事案のもとでは、両者の間に義務の内容、故意過失等の帰責原因、責任の態容等につき軽重は存しないのであるから、本件事故による治の死亡につき被控訴人には隊員の生命、身体の安全保護義務に違背がなかつたとする上来の説示は、そのまま被控訴人の債務不履行責任についても妥当するものというべきである。

それ故、被控訴人の債務不履行責任を問う控訴人らの主張もまた、理由がないこと明らかである。

よつて、控訴人らの本訴請求は、いずれも、その余の点について判断を加わえるまでもなく理由がないから、これを排斥した原判決は相当であり、本件控訴は棄却を免かれず、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(渡部吉隆 渡辺忠之 柳沢千昭)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例